
数秘学でいうところの「7」は、オーラ(エネルギー)の数字で、ボーダー、境界線、言葉、コミュニケーション。
自分の心地良いと感じる領域、スペースという意味もある。
いいエネルギーが放たれていると、相手とのいい感じの距離感だったり、会話があったりするけれど
少し厄介なエネルギーの場合は、物理的な距離も著しく近かったり、言葉が足らなかったり、言葉を策略的に使ってきたり、あまりいい感じでないコミュニケーションになっていたりする。
そうと知る前(つまり数秘学を知る前)から、その人の放つオーラみたいなものには敏感で、なんとなく雰囲気で伝わるものだから、おそらく「7」がちょっと厄介な方とは自然と距離をとるようにして、距離感を保つようにしてきていた。
だから、なんとなくよそよそしい感じの人、とか、付き合いが悪い人、よくわからない人、などなど思われたりしたかもしれない。
それでも、人にどう思われるか、ということにはあまり縛られないというか、気にならないタイプなので、そんなふうにしてきた。
なんとなくの愛想笑いもできないし(ものすごくわざとらしくなってしまう)、腹の内を探り合うようなやり取りはたぶんできるけど疲労するし、直観的によいと思っても後からそうではなかったという出会いもあるし、きちんと大人の対応としてそういう方々との付き合いを続けるという選択肢もあると思うけれど、今は自分に無理強いをしてまで続けることはないかなと思うから、ご縁がなかったんだなと思って前に進む。
と、そんなマイペースで来たものの、しばらく安定していた?そんな境界線がネックになる出来事が起きた2021年は、私にとっては少々印象深い。
何かトラブルが起きるときというのは、その事の問題そのものよりも、自分の中での変化を起こす必要があるタイミングなんだというサインだと、しみじみ思う。
仕事であれなんでも、その事の問題点はそれはそれとして解決することが必要だけど、そもそもそれが発生した自分の中に、何かが起きてきていて、そこが今の自分の変革ポイントなんだという本質に気がつく。
それをより明確に客観的に伝えてくれるものが数秘学の自分のストーリー、各ナンバーだったりするから、数秘学っておもしろいし、奥が深い。
まぁ、しんどいときはしんどいけど。

人生におけることは、すべて無意味なことなんかなくて、今すぐに必要でなくても、必ずいつかにいつかのことが役立つものだと、心から思っている。
だから、人とのコミュニケーションの難しさだって、いつかは他の何かにその経験が役立つわけだと思いつつ、延々、暖簾に腕押しというのが続くと、少々へこたれる。
理性が働く相手であれば、その時に難しくても時間が経過すると変化することは経験上で実感がある。
では、理性が働いていない(と思われる)相手の場合は、どうしたものなんだろうか。
いつの日か、このモンモンとした思いや気持ちが、役立つ時が来るとほんとうに思うけれど、
今の今、どう対処したものかと、悩むのも事実。
あの時はこうだったなー、と、軽やかに言ってのける頃は必ず来るから、今はこの学びを自分なりにあの手この手の角度から眺めるしかないのか、な。
10数年前もよくそんな心境になっていたけど(ちょっと状況が違うけど)、「3か月後の自分は今と同じ思いだろうか?」と、自問自答していたことを思い出す。
幸いにも、そこまでネガティブ思考が強くはないから、3か月後は今の思いは全然ないだろうなって思って、いつもやり過ごしていた。
あの時の恐ろしくパワーがあって、どこか狂ったように自分を追い込んでいた頃は、それはそれで多くの学びをのちにもたらしたけど、だからこそ、今の自分がどう目の前にあることに取り組むかはなかなか興味深い。

意識的にも、無意識にもよく使うことばに、「ありがとう」と「すみません」がある。
使い方によって、とても意味が異なるし、印象もとてもちがう。
どちらでもいいように思う事もあるかもしれないけど、このふたつの言葉は意識して使い分けたいと思う。
「すみません」をよく言う方にお会いした。
悪いわけでもないのに「すみません。」
しばらく話していても、しょっちゅう「すみません」というので、どうしてなのか聞いてみたら、
「すみません」と言うと、だいたいは話がこじれずに、相手に嫌な思いをさせることなく会話ができる、というようなことを以前の職場で習ったといい、印象を悪くしないための「つなぎ言葉」のような役目もあるというような説明だった。
なんてこった。と正直思った。
そういうシーンももちろんあると思うし、否定はしないけど、良くはない。
場合によっては相手を馬鹿にしているようにも受け取れてしまう気配すら感じたから。
それほど気にして聞いていなくても「ありがとう」という響きの方が、いい感じだと思うし、
「ありがとうございます」って、やはり気持ちがきれいになるような言葉だと思う。
「すみません」をいう時の思考回路と、「ありがとうございます」をいう時の思考回路はまったく違うだろうから、
できるなら、「ありがとうございます」を言える思考回路や視点を持ち合わせていたいと、思う。
日本語の「すみません」は、とても使い勝手が良くて、独自のニュアンスを伝える言葉なのだけれど、それを「ありがとうございます」に置き換えてみたら、もっと違うものが見えるんではないだろうかな。