2024年Colla:J コラージ12月号に書いたもの話。
私の人生での大きな発見について。
人は10歳くらいでパーソナリティが確立してくる、というのは母からの教えでもあるけれど
実際に私にとっても10歳というのは、大事な時間だったのだと、
オトナになった今、あらためて思う。
母が心理学の専門学校で講師をしていた時のこと。
あるとき、母が生徒さんたちのレポート答案を採点していた。
人の答案なんて読んではいけないだろうとは思いつつ、
どうしても読んでみたくなり、それらのレポートを読んでもいいか聞いてみたのだ。
母はあっさり「いいわよ」と。
10歳の私にとって、読めない漢字もあるし、字もきれいなものから読めないようなものまでいろいろ。
それでも何枚も読んでいくうちに、ある事柄が書かれていることがわかってきた。
ある事例についての考察が書かれていたのだと思う。
その中でだんだんと気が付き、気になることが出てきた。
私は、「人が人に寄りかかっていて、その寄りかかっているのが寄りかかりすぎていて、それでその人達には何か問題が起こっているんだよね? これは大人の言葉で何て言うの?」と、母に質問した。
そして、母からの回答は、「いぞん、っていうのよね」と、短いものだった。
子どもながらにモヤモヤしていた事がそんなに短い言葉で表現されるのかと、大人の言葉を知った感動があった。
そして、大人の世界では短い言葉に多くの意味が含まれていて、子どもの私の思考の中に広がっていた景色をさらっと諭してもらったような、なんだかひとつオトナになった気分。
頭のどこかがパッと開いたような感覚があった。
そして「いぞん」というのは大きくなると、人に問題を起こすものなのだということを、小学生なりではあったけれどなんとなく理解し腹落ちした。
この言葉との出逢いは、私が「人」について興味を持つきっかけだったと思う。
自分の外側の世界では想像もしないような事柄がたくさんあり、問題が起こるのにはそれ相応の“理由”があるのだと、子どもながらにとてつもなく大きなことを知った感覚だった。
互いに頼り合う関係はごく自然なことのように思う。
ただ良好な関係のためには「いぞん」が大きくなってしまうと難しくなる。
そのためには…と、10歳の私にとって大きな発見をしたものだと、年齢を重ねるごとにそのときの体験がおもしろい記憶となって時々思い出す。
レポートを読んでしまったのは良くなかったと思うけれど、35年以上前の出来事ということで、時効になるかと思っている。