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大吉朋子 ブログDesigns854
日々、何気なく考えていること、大事にしていること、感動の瞬間日記など思うままに書いている大吉日記。
私自身の備忘録のような、新しい発見になるときもあるから、言葉におこすことは大切ですね。
2025.04.03

「思ってたのとちがう」

すでに終わった面談でのことだけど、とても印象的な言葉。

「思ってたのと違う」

転職してきた彼女、結局5か月で次の職へと去っていったのだが
面談の中、この言葉を何回聞いただろうか。

思っていたことと違うことなど、世のなかにはたくさんあるし、
そんなものだと思えれば「違う」ことにフォーカスしている間もなく、世のなかどんどん進んでいく。

20代前半の彼女には、自分が対象に抱く期待値がとても大きかったことは話から伝わってきたのだが
それにしてもそのすべてを「思ってたのと違う」という言葉がまとめていく。

そんなに思った通りの世界があると思うものだろうか。

私が彼女と同じ年頃に何を思って仕事していたのか。
たぶん、そんなこと考える余裕もなく、毎日押し寄せるやるべき仕事に必死という、言葉通りの時間だったと思う。
よくも悪くも任せてもらえることが多すぎて、毎日12時間以上仕事していた。通勤時間を除いて。
体力があったから、その後明け方まで飲みに行き、始発で帰宅しシャワーを浴びて再び出勤するとか、本当にやっていたのだからすごいものだ。今では想像できないけど。

相手や仕事への「期待」というのは年齢関係なく付きまとうものだとは思うけれど、過度な期待はいいことをもたらさない。

あの面談で出会った女性は、確かに環境的にも彼女がそう思わざるを得ない状況が発生していた。しかもそこには、人の感情が操作している事実があらわとなっていたのも確か。

個人のもつ、「過度な期待」はコントロールできた方がいいのは確かだけど、
職場の環境がそうさせていることをオーナー側が自覚する必要もあるし、そもそも、感情むき出しで自分よりもうんと若い人に対して強圧的な態度を示す姿勢には明らかな問題があることを、本気で自覚してほしいものだと切実に思う。
それでも、立場として雇われている側が弱者で、オーナーは圧倒的強者。この関係性は一生変わらないわけだから、適切な判断を雇われている側が選択しなければ、事態を改善する方法は見えにくい。

今回、その選択を実行するタイミングで、危うくおかしな第三者が登場しそうになった。
第三者でも適切な役職の人物である必要性を事前に伝えることができたから良かったが、
正直、私のような役職の人間がいない環境であれば、その良からぬ第三者が登場していたかもしれない。
世の中には、偏った正義で、物事を一見整理しようとする行為によって複雑化してしまうことを、是として考える人がいるものなのだと、あらためて思った。

新年度始まり、4月1日付けで退職代行を依頼するケースがあるという新聞記事を目にした。
思わず、自分の新入社員時代を思い起こしてしまった。

2025.04.02

ひっかかりをぬぐわない。

ときどき、自分の中に突如現れる葛藤のようなものがある。
その事実をどうとらえようが、表にあらわれる事態は変わらないのに、自分の思考や心がひっかかりをぬぐえないこと。

はて、なぜ自分はそこまでその点にこだわるのか?という、途中、自分つっこみも入るものだから、長引く。

それでも、その行為をダメだとも思わないし、そこまで自分がこだわるには、何か自分の中に新しい意識が芽生えることへの期待があるようにも思う。
また、自分の大事にしていることの再認識も。

自分の性格、性質を理解するからこそ、自分の厄介さにも懲りずに付き合う。
この粘り強さが今の私を作っているのは確かだから、また、しばらく靄のかかった気持ちも携えて、しばらく走ることになりそうだ。

それもよし。
自分の気持ちを無視するよりよほどいい。

2025.04.01

雨のランニング

3月の晴れた朝に撮った庭のミモザ。今年はたくさんの花を咲かせた。

4月1日、新年度。
何か新しいことを、と思いながらも、年度切り替えは今のところ自分にはかかわらない。
朝から雨が降り続く1日。

雨は一時的にやむも、降り続く。
霧雨かなと思い、ランニングへ。
外に出ると、まぁまぁ降っているし、何より風が強くて、方向によって雨がシャワーのように顔に降り注ぐ。

こういう時、海に入り、大きな波を超えていく時に同じことを思う。

「この選択をするのは、変わってるよな」と。

あくまでも自分のものさしで。
海でのそれは、私の体験する波はそこまで巨大ではないけれど
上級者のサーファーたちが挑むあの大きな波は、ふつうの感覚では選ばない特別な世界だと思う。

人と違うことをすることで気が付くことがある、と子どもの時から思っている。
なんの根拠もないのに。
ただ、人と同じ目線では見えないことが世のなかには多いのだろうと、本能でわかっていたのかな。

大人になって、いろいろな葛藤、試行錯誤、変化変貌を繰り返して、今、日常的にすぐ手に入る「少し違うこと」
これが雨の日のランニング。

雨で空気中のヨゴレみたいなものが地面に落とされるからなのか、思いのほか嗅覚は鋭くなる。
いつもはランニングしている人に一人は出会うけど、会うことはない。

雨の日に走ることはやや体にも負担がある様子。
ただ、雨の中で一番何が負担と感じるのか、と意識してみると、実は濡れることはあまり気にならなくて
「雨だから」という設定が、何か負荷のかかるものだという意識を増幅させているだけではないかと気が付く。
意識の中にある、無意識に近いバイアス。

もちろん、シューズも濡れるし重くなる。当然スピードは出ない。
体は冷えるし、よろしくはないだろうとも少しは思う。
それでもいつものルーティンをすることで、心の平穏は保たれる。そのメリットの方が体が冷えることよりも私には大きい。
冷えたからだが温めたらいいのだから。

自分の中のバイアスに気が付く機会にもなる「雨の中のランニング」

そして、いかに人は無意識のバイアスで物事をとらえているのか、ということに視線が向いていく。

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