
私が社会人になったころからお世話になっている方に、5年ぶりにお会いして、ランチをご一緒した。
時間があいても変わらないお付き合いをさせていただける有難さと嬉しさをかみしめつつ、
自分の、その場にいる感覚の違いにも気が付く。
気持ちの落ち着きが少し違う。
5年前というと、フリーランスで仕事をしてはいるものの、
どこか足元がふわふわしていたというのか
今よりも仕事にかける時間をたくさん使っていたはずだけど、
時間の密度が違うのか、心の充足までは至っていなかったように、今思う。
コロナ禍となり、人に会う機会が減ったことはダメージなんだけど
もともと外交的でもない私にとっては、そこまでストレスに感じるものではないという感覚だった。
外で誰かと食事をすることも、なければないなりに問題なく
一人の方が気楽であった。
と、思っていたわけだけど
安心していられる場所、人たちとの時間は、ずいぶんと自分に良い刺激が入るものだと
あらためて感じた。
へんな気を遣うこともなく、大人の、互いに尊重しあう穏やかな空気があって
美味しいお食事をいただく。
こんなに充実感を感じることだったんだ、と
今更ながらに実感した。
コロナ禍にあっても、そこまでダメージやストレスはない感覚になっていたけれど
そんな状態すらが、ストレスと感じている状態の先にある希薄感とでもいうものなんだと思う。
人と関わることは、気楽なことばかりではないとはいえ
だからこそ、気持ちのいい人たちと過ごすことは貴重で、大切な時間だと身に染みた。
コロナ禍でさまざまな価値観が変わったといわれるけれど
私にとってはなにかといえば、こういうことへの気持ちの持ち方なのかなと、よぎる。
お互いを尊重しながら、絶妙なバランスをもちながら、まったく違う個性の人たちが一つの場所に集い、会話をする。
絶妙なバランスというのは、そうはないものと思うけど、そんな時間を少しでも味わえたら、幸せだと思う。

終わったことは仕方のないことだけど、とてつもない徒労感をじわじわ味わう。
自分が情けなくて、やり場のない気持ちでいっぱいになって、茫然自失。
思い返しても時間は戻らないのだから、くよくよしても仕方ないとわかっているのに、落ち込む。泣きたい気持ちなのになぜか泣けない。が、涙腺に響く音楽が流れてきたら、ドバドバ泣けた。
ランニングして神社にお参りして。だんだん自分に戻ってきたけど、昼間の出来事があったようななかったような感覚。
次の試験に備える、7月。
こんな気持ちを味わうのも人生の証みたいなものだと、今朝は思う。
学びを止めないための試練かなぁ
3月26日忘れられない日。

写真はオーストラリアのブルーマウンテン。快晴の素晴らしいお天気に恵まれて、最高だった。
高所恐怖症気味の私には、精一杯の笑顔だけど。
子どもが成長する時に「大きくなったねぇ~」と思わず口にするのは、
出来ることが増えた時が一番わかりやすいような気がする。
自分でなんでもは出来ないけれど、ひとつでもふたつでも、出来ることが増えると、
行動範囲も広がるだろうし、自分の達成感も大きくなる。
大人になって、成熟を超え、老いというものを感じる時はいったいどういう時なのだろうか、と思うと、
きっと今まで出来ていたことが出来なくなったり、やろうという気力すら起きなかったりする時だと察する。
両親を見ていてもそう思う。
それが悪いわけでもなんでもなくて、人間は年老いていけば、そうなることは自然だし、無理に頑張らなくてもいいと思う。
そこまでの長い人生、さんざん家族のため、周りのために、尽くしてきた時間も長いんだから。
では、私くらいの人生半分くらいの人間はどうかといえば、
ある意味子供と同じで、ひとつでも二つでもできることは多い方がいいし、
やれることすら「やらない」選択をすることで、できることを自ら手放しているかもしれない。
人に頼むことに慣れてしまうと、「頼む」ことで物事が解決するかのように見えてしまうんじゃないだろうか。
自分で何かすることで解決でき、さらには小さな達成感まで感じられたりすることすら他人に頼んでしまうのは、合理的、といえばいいけれど、生きる強度みたいなものが弱まっていく気がする。
まさに「老い」に通じる感覚すら思う。
頼むことが良いとか悪いとかの話ではない。
もしも、その事は自分でできる事なのだとしたら、まずは「やってみる」方向で考えてみる方が、前向きなような気がする。
もしも、自分では「やらない」「できない」という設定の上、他人に頼む習慣が出来てしまっていたら、、、どうなんだろうか。。
自分でできることを増やすことは、実は自分の幸福感も上がると思う。
何しろ、それをやり遂げた時の満足感だって、自分で存分に味わえるし。
とはいえ、自分でやり遂げることに魅力を感じない人もいるのだよな、きっと。
やってもらう事で満足感。
そうかもしれない。というか、そうなんだな。
私は、自分でできることを増やして、それでも、出来ないことなんて星の数ほどあるわけだから、
そのときにこれぞ!という方に手伝っていただけたら、うれしいなぁと思う。