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大吉朋子 ブログDesigns854
日々、何気なく考えていること、大事にしていること、感動の瞬間日記など思うままに書いている大吉日記。
私自身の備忘録のような、新しい発見になるときもあるから、言葉におこすことは大切ですね。
2021.06.17

「ありがとう」と「すみません」

意識的にも、無意識にもよく使うことばに、「ありがとう」と「すみません」がある。
使い方によって、とても意味が異なるし、印象もとてもちがう。

どちらでもいいように思う事もあるかもしれないけど、このふたつの言葉は意識して使い分けたいと思う。

「すみません」をよく言う方にお会いした。
悪いわけでもないのに「すみません。」

しばらく話していても、しょっちゅう「すみません」というので、どうしてなのか聞いてみたら、

「すみません」と言うと、だいたいは話がこじれずに、相手に嫌な思いをさせることなく会話ができる、というようなことを以前の職場で習ったといい、印象を悪くしないための「つなぎ言葉」のような役目もあるというような説明だった。

なんてこった。と正直思った。
そういうシーンももちろんあると思うし、否定はしないけど、良くはない。
場合によっては相手を馬鹿にしているようにも受け取れてしまう気配すら感じたから。

それほど気にして聞いていなくても「ありがとう」という響きの方が、いい感じだと思うし、
「ありがとうございます」って、やはり気持ちがきれいになるような言葉だと思う。

「すみません」をいう時の思考回路と、「ありがとうございます」をいう時の思考回路はまったく違うだろうから、
できるなら、「ありがとうございます」を言える思考回路や視点を持ち合わせていたいと、思う。

日本語の「すみません」は、とても使い勝手が良くて、独自のニュアンスを伝える言葉なのだけれど、それを「ありがとうございます」に置き換えてみたら、もっと違うものが見えるんではないだろうかな。

2021.06.15

すごく時間があいてしまったけど、再スタート。

今年はお気に入りのシャクヤク園の直売がお休みで、この素晴らしいお花に出会えなかった。来年は会えるかなぁ。

この自分日記を書こうと決めたのに、瞬く間に時間が過ぎて、今はもう6月。
最初の投稿は今年の初め頃で、すでに今年も半分あたりまで来ていることに少々ビビる。

ここ数日、めったにない疲労感を感じて、海に入ってなんかすっきりしたいなぁと思いながら、なぜかその腰までもが重く。

それでもこの状態の打破は海に入るしかない気がして、やっといった。

そして、ほんとうに久しぶりに時間を気にせずに、頭の中がスカッとするまで海に入ってみた。

いつものクセで、ある程度のところで一度海から上がってみたけど、なんとなくまだモヤっとした感じが残っていて、もう一度入ってみた。そして何本か乗っっていたら、気が付いたらだんだん頭の中がすっきりしていることに気が付いて、うれしかった。

ああ、この感覚か、と、何か凝り固まった考えが消え去っている感じを、生々しく感じられて、驚きでもあった。
脳の仕組みを理解したというのか。

サーフィンはほんとうにいい。

しかも、雷雨の予報だったのに晴れてきて、実に気持ちの良い空になっていて。

驚くべき波乗り効果を今回は強く実感。
気持ちが軽くなるって、これだよねぇ。

2021.04.15

「修羅場を経験することです」というアドバイス。

友人家族のカフェで頂いたオーツミルクラテ。きちんと入れてくださったコーヒーのラテの味は格別でした。

先日おもしろい話を聞いた。

あるお店の責任者の方が、スタッフ教育の一環で厚労省が行うテストを実施して、その際に厚労省の担当者からアドバイス(?)を受けたのが、「修羅場を経験することですね」と。

若い世代、という言い方は良くないけれど、まだ社会人経験の未熟な人たちが、働くことや人との関係性をうまく構築できず、先輩からの指摘や注意を聞き入れることも難しく、伸び悩み、結果的に仕事をやめるという結論を安易に口にしてしまったり、上司へ暴言を言い放ってやめていったりということがあるそうで。

そんな状況について、どうしたらいいんでしょね、と厚労省の担当者に投げかけた時に返ってきた言葉が「修羅場」。

ほんとうにその通りだと思うし、実のところ苦労や嫌な経験をせずに仕事が上達することは無いし、学びもない。
私も、それはそれは修羅場のオンパレードな20代だったし。

お役人の方がそんなセリフを普通にアドバイスとして残していったという事が、新しい感覚だった。

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