
2022年の8月は、なかなかに色濃い日々を過ごしている。
数秘学のマンスリーナンバーはまったくその通りだし、元気だと思っていても感じていても、栄養が十分でなく、休養も十分でなければ、体はしっかり弱ってしまうのだと実感する。
あまりにも、あっけなく流行りの感染症に罹患し、ようやく感覚的に落ち着いてきたところ。
幸いにも症状は風邪のような感じで、軽い。
とはいえ、めったに体調お崩すことのない私には、少しの熱もしんどい。
違和感、異物感を体に感じることと、味覚的には塩味をいつも以上に繊細にキャッチしているような感覚がある。
体をやすめなさい、というお達しだということは十分、頭では理解しているつもりだけれど
体を動かさないことに、とてもとても抵抗がある。
この感覚も怖いと思うが、頭がぼーっとしているぶん、どのみち思考回路系が上手く出来ないから、体をできる範囲で動かす。
ちょっと動くと疲れる。
あと数日したら、いつも通りになるのだと思うけど、
この感覚は体験してみないとわからないと、しみじみと思う。
いいとか悪いとかの話ではない。
無理はいけない。
動かしたら動かした分の栄養はきちんと摂る。
動いた分の休息も、しっかりととる。
この当たり前の基本が、自分のこととなるとすっぽりと抜けて、
そこに流行りものがやってきたという8月の終わり。
恐ろしく暑くて、しんどかった夏が
あっけなく秋に移るころになっている。
もう少しで9月。
もう数日はおとなしくしておく。

自然の中に身をおくことで変化せざるを得ないのは、五感。
ふだんも、都会に住んでいるわけではないから、それなりに、五感を養う工夫をしているようには思うものの、
いざ、夜は外灯はなく、星か月の明るさを感じるような場所に身を置くと、
暗いなりに見えるもの、感じるものにセンサーが働きだし、
なんとかそこで見よう感じようと努める。
大自然と言うと大きなものを想像してしまうのだけど、
その中で人が心地良いと感じるものは、実は繊細なサイズ感だったりする。
いつもの目で見ていてはそのサイズ感が発見できない。
自然とともに慣らした視点で見ないと、目の前にあっても見つからない。
こうしたい、というイメージがあって、それを見つけることも、
簡単なようでむずかしい。というか、目が変化してくれたら、簡単にみつかるんだけど。
自分が思っているよりもっと繊細な感覚を、忘れてはいけないんだと実感した。
人の目なんて、見ているようで見ていない。
そんなことを体験している山の家生活。
写真は、TOSHIHIRO KOZUMA の作品。
すべてがミニマムな、細胞レベルの描写。
すべての作品が違う次元にあるののように感じる。

友人家族のはからいで、初めて糸島を訪れた。
夏休みと重なって、訪問がかなわなかったお店もあったものの、いくつかお目当てのお店へ。
友人のセレクトが流石すぎて、好みの場所ばかりだったけど、どこのお店もこじんまりとしていながら、スタイルがあって、とても好ましい。
なんというか、大人のかわいさが香るような街というのか。
とはいえ、東京のようにごちゃごちゃと名所が立ち並ぶでもなく、
車ではしごしていくような距離感。
海沿いの方にいくと、海外のリゾートのような雰囲気あるコテージがあったり、おしゃれなカフェやプチホテルも。
糸島って、名称は聞いていたものの、魅力ある街づくりがされているんだなぁと、わずかながら感じた。
行ってみて、食してみて、味わって、わかるものがある。
日本にはほんとうに素敵な場所がたくさんあるんだなぁと、友人のパーフェクトなオーガナイズで楽しませていただいた。
写真は、おしゃれな糸島のブティックホテルにて。