
2年ほど前、ある仕事に関わることで、初めて「うつ」を経験しました。
これまでも厳しい環境下で”うつ気味”の状態になったこともありましたが、深刻な状況一歩手前で踏ん張り、なんとか回避できていました。
それがある時、自分では特に気づくこともなく、なんとなく不調だと感じていた矢先のことです。ふと言われた言葉で一瞬にして自分の現状を理解し、腹の底から涙が溢れ出し、自分ではどうにもできない、ただただ言葉で表せない心情へと突入しました。
これが「うつ」なんだと初めて実感しました。
幸いにも私の場合は軽度で、カウンセリングで対処することができ、2ケ月ほどで自分が戻ってきました。仕事はほとんど休業状態でした。
今でも私自身あの時の自分は不思議ですが、本当に説明しがたい気持ちで日々過ごしていました。
あまり日々のことを細かく覚えておらず、ただ毎日夕方にはランニングだけは必ず続けていた、ということは覚えています。意外と頭の中は落ち着いているものの、どこか病み上がりのような感覚が漂っていたような気がします。
過ぎてみると、
「休むこと」「時間をかけること」「自分のこだわりを捨てること」
といったことの重要さを本気で実感しました。
その渦中にいるときには先がよくわからない、不安定な気持ちを抱えていつも通りの様子でなんとか過ぎしていたわけですが。
今では貴重な体験をした時間だったと有難く思います。そして、結果として、この経験はぼんやりと私の中に存在していたライフテーマを明確にしていき、背中を押し、まずはやってみようとキャリアコンサルタントの学びを始めるに至りました。
これは、私にとって生涯学び続ける分野だと思います。

コラージ6月号が発行されました。
本号の『とっておきの休み時間』は、
「6月から7月、思考から行動へ移り変わる季節。」
7月は「5」のエネルギーが流れる時。
じっとしているより行動を。
変化を拒まず、フットワーク軽く動いていきたい7月。
6月に計画したことは7月に実行するという、タイミング。
【コラージ 2023年6月号」
https://collaj.jp/data/magazine/2023-06/
今月、久しぶりに急性胃炎でダウンしたわけだけど、
病院にかかってないものの、数年前にひどい胃炎を経験したときの感覚から
体感的に、それが何かわかった。体は本当に自分の意識の外側でコントロールしようとしているんだとあらためて思う。
初めて認識した胃炎は、32歳くらいの時。
前日の夜もまったくいつもと変わらず、元気に仕事して帰宅していた。
ところが朝、起きようという時間前から、具合が悪くて目が覚めつつ、とにかく具合が悪い。
気持ち悪いのか、なんなのか、体の真ん中からエネルギーが吸い取られるみたいに、ぐったりしていた。
それでも、どうしても行かないといけない仕事があって、ふらふらになりながらも着替え準備し、出かけた。
しかも当時は車出勤。時間が経過するにつれ、全身の感覚がなくなって、硬直してきて、ハンドルを握る手も固まってきて
最後は顔もかたまって動かせない。まったく理解不能な状況が起こっていた。
会社に着いた頃には、もう顔は動かせないし、体が動いているのかなんなのかわからない。
それでも、朝の業務をやらないと、というおかしな責任感で出向いたものの、
私のその様子を見て、周囲は一瞬で察して、私はそのまま椅子に座り、仕事を休むことにしてぐったりした。
今でも忘れないあの日。
隣のクリニックがその日はお休みで、どうにも動けないから、いよいよ救急車か、とも思いながら
私のおかしな性格は、うちに帰ろうとして、意識朦朧としたまま車を運転してかえった。
帰路、運転席から見える景色はほぼハンドルだけで、危険極めていたのはその通りなものの、ご迷惑をかけることもなく無事に帰宅を果たした。
すぐに近所の医者にいったものの、運悪くひどい診察で、何も意味をなさなかった。
その後、数日、食べることはできないまま、ふらふらしながら、一応出勤して過ごした。
この時の記憶は、5日間何も食べることができなかった、ということだけ。
そんな、体験があるから、胃に異常が起きたときの全身に及ぶ感覚だけでは、なんとなく想像できる。
毎回起こることは違うけど、胃から何かが起きていることだけはわかる。
・・・・
32歳の時は、後から思うと、無意識にも心理的にものすごくものすごくストレスがかかっていた。
しかも、恐怖とかでなく、いい人でいようという、自分へ角なプレッシャーが自分を限界に追い込んだ。
そこから数年は、あまり学んでいなかったように思うけれど
自分の奥底にある性質を正面から理解しておくことは実に大切。
「自己理解」
難しいことだけど、向き合わない限り進むものではないこと。
私にとっての、体調異変の大きな出来事その➀の記録。
