人は実に多様な生き物だなと、あらためて。
あたりまえのことといえばそうなんだけど、実に人というのは多様だと思った。
人そのものもそうであるし、生き方、生き様、考え方、価値基準、善悪、定義の仕方、などなど
独り身で、特別に不便なことは今の処は大したことがなく、独りであるからこその恩恵みたいなものの方があるだろうか。私の性格や性質にあっているという意味で。
他者とはどんなに親しい人、家族であっても、絶対に同じ価値観を持ち合わせることはなく、違って当然。
違うことこそ、人が人らしくいられる理由であるし、違いを受け入れるために、一生かけての人が持ち合わせる課題にもなっているかなとも思う。
違うことが前提で結婚やパートナーシップは結ばれると思うわけだけど、
もちろん、ことの最終着地は他人にはわからない領域ではあるものの、
パートナーシップの間で一方が一方の何かを決め打ちするような考え方や捉え方は、なんというか、
聞いていてあまり気持ちがすっきりすることではないものだと思ったという記録。
昔の日本は男性を「主人」というように、多くの場合は夫婦や家族であれば男性が一番年上で稼ぎ頭で力を持っていた「主」だったわけだけど、同じ構造で一部が違う同じようなスタイルもあるわけで。いずれにしても、年功みたいなものが上下をつけることはどの時代も多くは不変で、なくさなくてもいいと思うけれど、年功があることで受け入れざるを得ないものがある状態は、なんとなく違和感を覚える。
と、自分はいつ頃からそういった階級制度や年功制度みたいな現象に敏感になったのか。
時期は不確かだけど、どうも長い間、そのような風景を見ると気持ちが45度くらい傾く感覚がある。あれ???って。
最近、認知科学や行動経済などの言葉が、比較的アクセスしやすい場所に存在するようになって、いままで自分の中に当たり前のように存在していた感覚を、あらためて客観的に眺める時間ができたりする。
これまで是としてとらえていたことも、角度を変えるとそうでない側面やその本質が見えてくる。
いかにその是としていることへのバイアスをフレキシブルにしておくか。
バイアスを完全に取り除くことはできないが、それを柔軟に取り扱える感覚は持ち合わせられるような気もする。あくまで自分自身の個人的なことであれば。
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