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大吉朋子 ブログDesigns854
2025.04.18

朝の通勤ラッシュ 人の動き。

ソウル
ときどき、朝の通勤ラッシュ電車に乗る。
大学を卒業後の12年ほどは、毎朝の都心へ向かう通勤で乗る機会もあったけど、昔からラッシュが苦手、、まぁ得意な人はいないと思うが、だからバイクや車で通ったりしていたわけで。電車に乗る時は当時ウォークマンと読書を重ねて、なんとか乗り切っていたな。

最近、時々7~8時のラッシュに乗ると、みな朝早くからすごいなぁと思う一方で、毎日この時間をやり過ごさなければならないのは、どこかの自分の回路を断裂させないとやっていけないよなぁと、しみじみ思う。
ぎゅうぎゅうがあたりまえ。ひとつ遅い電車に乗ればかなり隙間があるのに、1分を急いで、もう入らないというほどの混雑した電車に体を押し込んでいく。何十年も体に染みついていたら、当たり前となるのだろうが、ほんとうに仕方がないのだろうか。と、私はひとつ遅い電車に乗る。もちろん、時間の余裕をもって、少しでも空いている電車を選ぶ人たちもたくさんいるけれど、割合でいえば、限界を超えた混雑電車に詰め込まれていくひとが多数派のような気がする。

どの行動を選択するかによって、一日の様子も変わる気がするのだが、自らの選択を「仕方がない」としている人が多くないだろうか。自分の選択は自ら選べるのだから、と、あのつぶれるほどに押し込まれるラッシュの電車の様子を見ると、毎回、ビビる。

20代は体力もあるし、あまり細かいことに気がいっていないから、ほんの30分ならと、やり過ごしもできたと思う。
今、40代後半になって、体力はあるけど、何か自分の中に侵食されたくないものが大きくなって、あの極端なパーソナルスペース欠如を日々繰り返せるか?と思うと、無理だと確かに思う。

そして、新宿駅の人が移動する大混雑のエリアの人の流れ、あんなに混雑していても、自分もできるだけ速足で移動するも、すれ違う時の光景を目で追うと、人となりとその動きが印象に残っていく。

混雑している場所、雑多な場所、汚れた場所で、いかにエネルギー軽くいるのか。
以前、宇宙のおじさんが話していた話を思い出した。
フットワーク軽くいることも、そのひとつだと思った。
どたどた歩かない。あのドタドタと階段を上る足音を聞くたびに、音以上に重いものを感じる。

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